2011/09/21

「ベルリン・フィルとの四半世紀」カール・ライスター

私はカール・ライスターって知らなかった。
1961年から25年にわたって、ベルリン・フィルで首席クラリネット奏者を
つとめた人だ。この本、「ベルリン・フィルとの四半世紀」は、
インタビューに対する答えをライスターがテープに吹き込み、
それを翻訳して「音楽の友」に連載されたものを一冊に構成している。
とうぜん日本公演での話が出てくる。
寝過ごしちゃって奥道後に置き去りにされた話はほほえましかった。
(たいへんなんだけど。)オーケストラの誰も、瀬戸内海の真ん中に
出るまで、クラリネット首席奏者のライスターと第二フルート奏者が
いないことに気づかなかった。福岡公演へと向かっていたわけだ。
残された二人はホテルですったもんだの必死のやりとりの後、
「神風」の誉れ高い日本のタクシーを飛ばして松山港にたどり着き、
たぶん宇品港に着いて広島駅へ向かった。
幸いライスターは翌日は出番がなかったため、
福岡公演の後広島へ戻ってくるオーケストラを
そのまま広島で待つことができた。
第二フルート奏者は福岡での演目をこなさなければならなかったため、
新幹線で福岡へと向かった。


広島でオーケストラと合流したライスターは次のように書いている。

「午後オーケストラが到着し、私は彼らと一緒に広島駅の博物館に
行ってみた。ここには原爆が投下されたときの悲惨な記録が展示してある。
私は、かつてないほどのショックに身内が震撼するのを覚えた。
資料館を出てからも、私は半ば呆然としていた。
このようなものは、私の生涯で一度も見たことがない。
何という壊滅をこの兵器はもたらすことか。
人間とは、多くの美しいものをこの世にもたらす能力があるのに、
その反面、多くの恐ろしい破壊をもたらすことにかけても同じように能力のあるものなのだ・・・・・。」


ライスターの、芸術家としての感性と、
ライスターその人の人間性を思わせる文章である。
 このように感じてくれる人で、よかった。
自分もまた「呆然と」するしかない瞬間をくり返してきた、
そのことを外国人の芸術家によって思い出さされることがある。
誰だったか忘れたが、誰かアメリカのとても有名なミュージシャンを
広島に案内した人の書いた文章だったと思う。
平和資料館を見た後で彼ら夫婦が肩を抱き合って
じいっと原爆ドームの前で、雨の中立ち尽くしていたのを見た、と。

その感覚、わかる、と思う。
立ち尽くすしかないのだ。
そして、誰もが、いつまでもその感性を持ち続けられるわけではない。
あたしは広島に行くたびにその気持ちを忘れちゃいけない、と
何度も心に刻み込む。雨の中立ち尽くした芸術家夫婦を思う。

これからは、カール・ライスターのことも思い出すだろう。
広島駅前のホテル(旧広島グランドホテルかなあ?
でも駅前と書いてあるから、広島グランヴィアホテルかなあ。)を
見るか泊まるかするたびに、
1966年に黒いふちの眼鏡をかけたドイツ人がわたわたと、
けれど楽しみながらここにやってきたんだなと、その昔の光景を
「思い出す」にちがいない。


「ベルリン・フィルとの四半世紀」
カール・ライスター 監訳 石井宏 
昭和62年第一刷
音楽之友社

ケストナーについて思う、そして日の丸君が代

「ケストナー ナチスに抵抗し続けた作家」
クラウス・コードン著。
これを読んだ。
ケストナーの「エーミール」があまりにすばらしいから、
当然、どのような人か知りたくなった。
それで、ナチス?と思った。
彼らがどう関連するというのか。


ケストナーがナチスに対する批判やあてこすりに満ちた詩作を
行っていたとは知らなかった。
彼は作家や文筆家たちがナチスに迎合したものを書くことを、
「殺人鬼のココアを飲む」とたとえた。ナチスの茶褐色の制服を
指したのだ。
まわり全部がそうしていき、そうでない作家は国外に亡命した。
ドイツに残りながら、ナチスの気に入る創作活動をしないという
作家はきわめてまれで、そうすることは冗談抜きの命がけだった。
ケストナーがナチス政権が台頭しはじめてから第二次世界大戦が
終わる12年間を生き延びることができたのは、
ほんとうに運がよかったというしかない。

ケストナーは暴力的な戦いを嫌った。
受身でありながら、それでも筆を曲げることはなかった。
それがどんなに勇気としなやかさを必要とすることか、
あたしは考える。
それが始まったとき・・・1933年。こういう逸話がある。
ケストナーはベルリンのスポーツパレスで、アマチュア・ボクシング選手権を
みていた。勝者が表彰され、まわりはそのたびに全員起立して
「ハイル・ヒトラー!!」といっせいに叫び、ドイツの国家を歌う。
その中でケストナーはひとり沈黙して座り続けた。

『ボクシングの試合がひとつおわるたびに、観衆のぼくに対する
関心はふくれあがっていった。それでも、この夜の、スポーツパレスと
ぼくの間に繰り広げられたもうひとつの戦いのほうは、幸いなことに
大事にはならずにすんだ。そう、引き分けに終わったわけ。
ぼくのやったことは、いや正確には、やらなかったことは、
けっして英雄的なものではなかった。ただ、ぼくは、ヒトラー式の
あいさつをするのが、気分が悪くなるほどいやでたまらなかっただけなのだ。
ぼくは、ずっと受身だった。このときも、ぼくたちの本が焼かれた
あの日でさえも。』

評伝を書いたクラウス・コードンはこのことについて、
「受身のままでいるといっても、群衆の流れに従わないということは、
一人の人間にとって、どれほど勇気のいることだろうか。」
と記している。

まじまじと考える、
日の丸を揚げて君が代を歌う体育館の中で、
あたしは座り続けることができるかと。

そして、自分の良心に従った人は処罰され罪を問われる。
そうなりつつあるのが大阪だ。
こんなことが許されるとしたら。
政治が個人の良心のありかに介入し、
政治にとって都合のよい態度を取る者だけを雇い、
そうしない者を圧迫し処罰するとしたら。
その先に何があるか、
あたしたちにはわかっているはずだ。
こんなことを許してはならない!!


「エーリヒ・ケストナー ナチスに抵抗し続けた作家」
クラウス・コードン著 那須田 淳/木本 栄 訳
1999年発行、偕成社

2011/09/13

「エーミールと探偵たち」

いまその続きの、「エーミールと三人のふたご」を読んでいる。
エーリヒ・ケストナー作。
すごいなあ。この作品は どうして、こんな独特の
光あふれるような空気に満ちているんだろう?
今読んでいるところ…「教授くん」からエーミールへの手紙。
「何週間か前、大叔母さんが亡くなった。でも、ほとんど
会ったことのない人だ。そういう人が亡くなっても、あまり
悲しさはわいてこないものだね。だけど、そのことで、
この手紙を書いている。大叔母さんはぼくに家を残してくれた
・・・・・きみは、ぼくが何を思いついたか、もうわかっただろうか。」

池田香代子(あの池田香代子だ)の翻訳もいいのだろう。
それにしても、このリズム。この自由奔放さ。
読んでいると、自分も、こどものころのいちばん良かった
そのときに、気持ちが戻っていくのだ。
こども時代がいいことばかりだったわけじゃない。
相当につらいこともあった、あたしは覚えている。
けれど、まちがいなく、太陽の光の中で土手に座って、
ただただ午後じゅうずうっとしろつめくさを編んでいた、
一番なかのよかった友達といっしょに、
そういうときもあったのだ。
風が吹いて、田んぼの稲がそよいで、
空は青くて雲が浮かんでいる。遠くの山はほこほことした緑色だ。
そして大好きな本があった…
そういうときを思い出す。

そして今あたしは親で、こどもに読ませた児童書を自分も読む。

あたしは自分がこどもだったときにはケストナーとは
出会っていなかった。
教えてもらったのはおとなになってから、
あるひとからだ。あたしはその人に、すごく、感謝しています。
そのひとの部屋には、「エーミールと探偵たち」の
古い単行本(文庫ではない!)があって、
あたしはそれを見てこれはぜったいにすごい本だ、
これをぜったいこどもに読ませなきゃ、とわかった。
その人が読んだから、という理由も大きかった。

ともかくあたしはこの本に出会えたことは
おとなになってから起きたすごいことだった、と思います。


ケストナーはナチス・ドイツに圧迫を受けた、
そのことについてはまたこんど。

2010/11/24

補正するってつまり

お太鼓むすぶときに、
帯枕が背中にくいこんで痛くないようにだな。

と思ったくらい、今背中がいたいぞう。
うん、オレンジ色の無地のなごや帯(!)を
衝動買いしたのが三日前。
今日はあれをうちに帰ってすぐに結びたい!
と思ったんですね。

着物は濃いグレーに黒のグレンチェック(・・・)の、ウール着物。
まるでスーツのような柄のこれって、
つまりおとーさんのおさがりなんである。
おとうちゃんが昔着ていたらしいそのきものは、
パッと見が某・「KRり」さまのデニムお着物にそっくりちゃん。
ああいう着こなしができちゃうなあ、とお気に入り。

その果てしなくぢみーなグレー着物に、
とてつもなく派手なオレンジ色の帯をあわせる。
派手ったって、それは色の話で、
ものは本当に無地の薄めで硬いなごや帯です。
帯締めは渋いレンガ色の太目の組みひも。
帯揚げはアンティークの、絞り入り正絹。
色はクリームが基調で、
淡い優しい茶色みを帯びたオレンジの凝った絞りが入る。 

同系色の組み合わせです。
写真アップできたらいいんだけど今日はパスです。。。

その上に、11月19日のブログ
「傲慢女、恥じ入る」で褒めたおした、
もらいものの「ひっぱり」を羽織る。
その「ひっぱり」、
オレンジとオリーブグリーン、黒、グレー、紺など
複雑な色 の細い縞。
これがまた、オレンジの帯に合うんですね。
ありがたや、ありがたや。

その帯を嬉しくしているのはいいけど…
今日は補正をしているヒマがなかった。
家で生活きものを着るのに、私は補正ははぶきます!
外から帰って、ちゃっちゃと着替えて家のことを始めるのに
補正などとてもやってはおられない。
実際今日は、なごや帯を結ぶぞ!と思いついたために
お昼にありつくのが1時間遅れてしまった。
(へたなんだもんよ)
 もし補正までやっていたら、
日が暮れてからのお昼になったであろう。

補正しないで帯を結ぶとどうなるか。
そう、冒頭にオレンジ色のでか字で記したとおり、
背中に帯枕がぐいぐいくいこむんである。
私は背中に肉がほとんどない、
骨と皮である。
腰のくびれもたいしたことないとばかり思っていたが、
まっすぐな帯が体の直線にうまく沿わず、
空間があくので、そこにミニタオルを入れた。
これでずれも防止できる。
しかし、
きものを着たまま背中にタオルを入れるのは
これは無理ってものだろう。
で、背中のごつごつ感はそのまま。

もし補正っていうか、
長襦袢・肌襦袢と重ねて
さらしとタオルを体にちゃんと巻いていたら
こういう痛いとか浮くとかいう不都合はないわけだ。
よくわかった。

では私は家きものでも補正をするのでしょうか?!


答え。
家では半幅帯かファブリック帯で通し、
出かけるときだけ補正つきのなごや帯!

 という、あたりまえだろ、というところに落ち着いたのでした♪
 
それでも、少々背中が痛くても、
 腹と背中をしっかり帯で巻いて、
お太鼓をしょっているのはつくづく気持ちがいいです。 
気持ちがほこほこ甘くなってくるんです。


あれれ!?上村松園の絵で、
うつくしいお母様が、
お太鼓しょって家事してはらへんかったっけ?!
うーむ。
むかしの人は補正、ってどうしていたのかしらん。

2010/11/19

白洲正子に寄せるおもい

なんてかっこいいおばさんなんだ。

私は、白洲正子に、惚れた。

決めた。
このひとについていくぞ!!



きものない、金ない、知識ない、の三重苦からスタートした
あたしのきものみち。
(道っていうほどでもないが、あゆむからには「みち」だろう)
どんなのを着たいのか?どんなふうに着たいのか?
そういうセンがなけりゃあ、出会っても手に入れられないだろう。
かねがかかるもの、
あんまりいきあたりばったりってわけにもいくまい。
それに、「こうしたい」がなければ、
どれだけお店できものをみたってさっぱりわかんないのだ。
踏み迷う、ってやつ。

だからあたしはたくさんきものの本を読むことにした。
着付けのハウツー、は笹島寿美先生のものに絞り
(あんまりいろんなひとのいうことをきかない)
あとは きものの達人、というか、
生き方そのものに惹かれる人の語るきもの話に
耳をかたむける。
 そうやって、自分がどんなきものをどんなふうに着たいのか、
だんだんと的をしぼっていく。


もともと、たらんとしたよそゆきには興味がなかった。
みてもちっともおもしろくない。
訪問着、とか付け下げ、とか言われてもさっぱり。
金銀のぬいとりをみても、ほーすごい、それだけ。
正絹のすばらしさもわかりたいから、
柔らかいよそいきもすてきだなあ、 と
思うけれど、
それはだんだんと、また。


それに対して、紬、木綿、麻、縞、格子、無地。
そういうアイテムにはたちどころにむむっと関心がもちあがる。

燃えてくる、というか。
めらめらくるのだ。萌えてくる、っていってもいいかもしれないな。


そして図書館で白洲正子の本に出会いました。
木綿を愛した白洲正子。
なんの賞か忘れたが…
文学に関する大きな賞を受けたその表彰式に正子は
木綿の着物で出たという。


木綿といっても彼女の身に着けたのは
本当の最高級品。なんていうのかそれも忘れたけれど
ふつうは木綿きものにはしない細工を施したもの。
布の上に装飾を縫い取る、という感じだったと思う。

格子、縞、絣、型染め。
白洲正子の所蔵品だった数々のきものをみていると、
ほんとうに生唾がわいてくる。
気持ちが「起立する」、この感覚をなんといったらいいのだろう。


白洲正子が愛したきものは、
木綿といっても一般人の手の届くものではない。
むろんあたしが手に入れられようはずもない。

でもあたしが買える、木綿の手仕事もあるはず。
現にひとつ今お仕立て上がりを待っているところなんです。
片貝木綿、型押しの藍・柿渋染め。
ぶっちゃけ書いちゃうと、
反物価格が3万6千円ほど。
袷にした。
これも尊敬するきもの人(きものびと、と勝手に呼ばせていただく)
石川あきが、「木綿は袷にするべき」と言っていたので。
八掛、という裏地は
「ぼかし」と呼ばれる見える部分だけ染めたものじゃなく、
全体を染めたものをお願いした。
色は赤。どんな赤になってくるか…
仕立てをお願いしたひとを信頼して、
好みをお伝えしたうえでおまかせした。


裏地の代金・お仕立て代をふくむとけっこうな値段になる。
ずいぶんお高いきものになるわよ、と心配された。
そりゃそうだ。
(あたしはバカ)

白洲正子の愛したもの、
彼女の見い出した職人、
日本の技。
日本の風土、日本の材料。
そういうものを読んでみて、
生まれて初めて仕立てるきものとして
木綿の型押し 、藍・柿渋染めをえらんだことは
あたし、まちがってない、と確信した。

やっぱりこれでよかったんだ。


 うーん、仕立てあがってさらにそう思えますように!!


いろんな勉強があるんだろう。
これからもいろんなきものに出会うだろう。
でも、
白洲正子のことはつねに頭においてるだろうな。

傲慢女、恥じ入る

これを下さったのは、私がひそかに「お嬢おばさま」と名づけていた年配女性だった。
お嬢さま育ちのまんまのひとが年取ったみたいな、って意味だ。
他意のない、みたまんまを言っている面と、
その方のあまりの無邪気なかんじに、「やってられないなー」的な
あなどりを含む。
そう、私は傲慢なんです。

きものにはまっている、と言うとその方は、
「私のでよかったら差し上げるわ」と言ってくださる。
きものブログやそのほかいろんなものを読んでいると、
 ひとにもらった、という話をよく目にする。
その方に、自分がきもの着たいなんて言ったのは、
みんなもらってるんだ、その手があるんだ…という腹があったのは否定しない。

そして、下さったのは
1.髪飾り(コーム)
2.帯締め
3.半幅帯
4.「ひっぱり」と呼ばれるうわっぱり状のもの

だ。
コームは、ではでは(派手)の巨大なリボン、それがまた
どピンクに白いパール状のプラスティック製ビーズをちりばめたやつだ。
参るなあ、七五三かよ、とさすがにひるむ。
しかしどピンクリボンの上に、
私好みに渋い柄の小さめリボンがあしらってあるのを私は見逃さない。
ぱっぱと余分なものを取り払って素材だけにしてみると、
リボンはまるでティッシュケースなのであった。
リボンにするにはこういうのを作ればいいのかあー、とかんしん。
古っぽかったので洗いたい。
ためしに洗剤液につけてみた。

ち、ちぢんだ!!

たらいに漬けて水が沁みた瞬間、きゅううっ、と見る見る縮んだのである。
ちっちゃくなってぺったんこになって、
リボンは本当にティッシュケースになってしまった。
ふわっとしていた手触りは、ごわごわ。

布は、死んだ。
あーあ。
たとえもらいもので、小さな布でも、布がひとつ死ぬというのはしょげるもんだ。
生きているとしか思えないあの反応。
・・・あれ、正絹だったんだ。
あたし、どうせポリだろう、とタカをくくってた。


しょぼぼん、と私はだんなのワイシャツにアイロンかけをはじめた。
ふと思いついて、そのぺたんこティッシュケースを手に取った。
ぺたんこでもなにかにしたい。
濡れたままの布にいかに針が通りにくいか(ムリだっつうの)
私は知っているので(なんてせっかちなんだ)、
乾かすためにアイロンをかけてみることにした。
こうなりゃ、トドメだ。


のびた!!

おーい、のび太くーん。
じゃなくって。
正絹製ぺたんこティッシュケースは、
アイロンで乾いた瞬間、
しゅうっと伸びてもとの大きさに戻ったのだった。
布目のヨレを直しながら慎重に伸ばす。
ほぼ、もとの大きさになった上に
手触りもふんわり。
やっぱりこの布は生きているとしか思えない。

それで小さなバラの花をくるくるっと縫いとめ、
コーム部分の金具にくっつけて、
小さなバラのコーム完成!

縫う作業中、その布は手の中でずうっとほっこりしていた。
触れば触るほど、しあわせになる。
これが正絹の底力か。
物持ちのよい方だったんだ。
やっぱしもとお嬢・・・

さらに傲慢女が恐れ入ったのは、
4.「ひっぱり」と呼ばれる上っ張り。
これもどうやら正絹らしい。
まず一目で、色柄がいい。
そしてつるつるとした光沢。
手に取ってみるとすうっと軽い。
このごろがさがさになってきたあたしの手に、とても優しい。
羽織ってみると暖かいのだ!!
鏡に映してみると、
とてもいい着用しわというか、線ができる。

うつくしい。
おそるべし正絹。


これはたぶん、紬の着物を仕立て直したものだろう。
誰もはじめっから正絹つかって「ひっぱり」みたいな
お家ウェアは作るまい。
おそらく、もう着なくなった紬を生かされたのではあるまいか。
「お嬢おばさま」のお母様の手によるものかもしれない。
今90ナンボのその方は、
ねたきりになって介護を受けておられるという。
少しでも長生きをしてほしい、苦しまずに。

もらった3.の、半幅帯も、愛用させていただいてます。
しっかりした織のもの。
しっとり重くて、しなやかである。
それでいて体に巻くと軽いのは、なんでやねん、と思うくらい。
いま、「割れ太鼓」という結びにしている。
腰と腹の包まれている感が心地いいのだ。

きものって、すごいなあ。
これを使わせてもらえるしあわせを感じる。
ありがとう。
ありがとうございます。

さすがの傲慢女も、
「お嬢おばさま」をあなどっていたことを
深く反省し、
ただただおそれいった
正絹と手しごとの威力であった。

2010/08/31

きものって・2

きものライフに足を踏み入れて…
ついさきほど、百貨店のきものサロンから電話。
長襦袢の丈を、5分ほど短くしたほうがいいのではないか、と
きものアドバイザーの女性から。
ありがたいご配慮。

しかしこの長襦袢が5万円である。
5万と言ったら、おとーさんのスーツではないか!!
これでも売り場では一番安かったものだ。

高さの理由その①→百貨店に行ったから?
反論・・・ふつうの呉服屋さんでもそのくらいはするぞ。
実際、地元のお店をのぞいてみて「参考に教えてくださ~い」と
聞いてみたところ、ポリエステルで4,5万くらいだったと思う。

そう変わらないじゃないか。一万円くらいの差なら、私は絶対絹がいい。

高さの理由その②→夏物ではなく、袷だから。
(私が今持ってる一枚きりの母のきものが、
夏物ではなく6月、9月用の単衣だとわかった。
夏物だとばかり思い込んでいて、
夏用の絽の長襦袢だと4万円、
これなら予算の範疇だとお仕立てのゴーサインを出したのだが…)

反論・・・結局、夏物の「絽」とか「紗」を着るのでなければ、
このくそ暑い夏に長襦袢&きものとか着るわけない。
スリーシーズン着られる袷にしたほうが、
後々きものを入手する可能性も考えると結局賢いぞ。


こうして考えてみたら、
シルクの長襦袢が5万円+消費税っていうのは、
妥当な値段だ、と思えてくる。
騒ぐことはない。
もしこれを読んでおられる方できものに知識のある方がおられたら、
きっと「そんなものよ」とおっしゃるのではないだろうか。
つまり、きもの着ようと思ったら、
5万円の出費なんて可愛いもの、なのかもしれない。

しかし私は言いたい。

なんでそんなことになるわけよ??

きものってどうしてこう高くつくのか。
ヘタすりゃあ一ヶ月分の食費ではないか。
(足りないけど・・・)
私は今回、ぢみちに稼いだ自分の在宅ワークの報酬を握って百貨店へと赴いた。
それでも、ちょっと足りない。
ごめん、だんな。
私はこれでも恵まれているほうだと思う、
感覚的ないまどきの日本人の家計としては。
住宅ローンやこどもの教育費、
不況で給料カット。
だからユニクロ、それが今の世の中だろう。
5万円の衣料品、しかも表に出ない下に着るもの、としては
びっくりぎょうてんものだ。
私は普通だ。
(そうだろ?と言いたいくらい、「着物業界」の金銭感覚というのは
ぶっとんでしまっていると感じるのだ。)


それでだな。あといる「部品」はだな。
①帯揚げ
②伊達締めもう1本
③これが肝心だ、下駄か草履

こうすると、きものと帯を持っているあなた、が
あとは一からそろえるとしたら。
トータル10万円前後って感じだな。

女性の服がトータルで10万円って何よ?
私はブランドのスーツに身を包む類いの女ではない。


つまりきものってものは、かねもちしかやってられない、ってことになる。
あとは親の資産頼みか。
嫁入り支度ね~。

着道楽ってのはきもののことだな、つまり。

きものってそれでいいのか?

私はえらそうなもの、
ひとに見せて自慢するもの、
値段の高さに価値がある、
そういうものは好かん。
そうしたきものを、「お着物」と称することにする。

それに対して、私がやりたい・ぜひ着たいのを、
「きもの」と呼ぶ。
ライフスタイル、
女性の身体感覚、所作。
そして美的感覚。
あとつけ加えたいのが、
日本人として育ったものとしてのアイデンティティ。
体型、価値観、まだ私にも残っているはずなのだ。
日本人としての心地よさの記憶、というものが。
きものはそういうのにぴったり合うはずなのだ。

(少なくとも体型はぴったり、笑)

そしてきもののよさについて、
下世話なことをあえて申し上げれば。
きものを着ていれば、
脇やすねのムダ毛処理がいらなくってよ!!
私は実は、女性が脇やスネの「ムダ毛」を
電動の機械やかみそりで抜く・剃る、
毛抜きで抜く(痛くて泣きますよ)、
ということをやらねばならんことに常々違和感を抱いてきた。
からだに「ムダ」なものなんてあるわけがない。
体毛というものは、からだと皮膚を守るために
大事な役割を果たしているはずだ。
それを、モテたいつうか、人目を気にしてつるつるに
保っておかなければならないとは、
なんとも。
生きているんだからいいじゃないか。


ナチュラルにいこうよ。
きものはその点、力強い生活の友になるはずだ。
下駄を履くことによって足は強くなる。
帯をしめると体の重心と気の持ちようが安定する。
ビギナーの私だって、そう思うっていうか実感する。


私がみつけた本、
笹島寿美先生に感謝するのみです。
あのひとは、金をかけろとはひとっことも言わない。
きもののよさ、
きものにまつわる日本文化のすばらしさを教えてくれたのだ。
だからあたしは、きものにはまった(はまることにした)のだ。